冬そして夜 (創元推理文庫 M ロ 3-8)
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S.J.ローザン
東京創元社
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東京創元社
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■S・J・ローザン/翻訳:直良和美
待ってましたー(≧∇≦)ノ彡 のシリーズ第8弾。
今回はビル視点。
交互で語り手が変わるこのシリーズ、何故かビル視点のほうが出来が良いと評判が高い。わたしもどちらかといわれたらそうかなと思うけどでも同性同世代おまけに同じアジア人ということもあってリディア視点も大好きだ。というかこののっぽで決して美男子ではなくて中年でピアノがうまくて実はロマンチストの白人ビル・スミスと、小柄で美人で敏捷性が高くて勝ち気でどんなときも一生懸命でまっすぐな中国系アメリカ人、リディア・チンのコンビが大好きだし、異なる2タイプの視点によって語られるシリーズだからこその魅力というのは決して小さくないと思う。
話の中にごく自然に家族の話が混じるリディアシリーズに対してビルは過去のことや家族のことを語らない。もっと正確にいうと蓋をして鍵をかけて容器も鍵もどこぞに深くうずめておきたいものであるらしく、たまに誰かがそこを掘り返そうとすると逆毛を立てる。堅くて冷たい鎧をかっちりと着込んで動かなくなってしまう。
ビルはリディアを愛しているけれど彼女だってその領域に踏み込むことは――事件の流れの中で致し方なく許されたほんの少しの足の踏み場以外は――許されていないのである。
今回の事件ではそんな孤高のビルの甥っ子の少年がいきなり厄介事を背負って登場する。甥がいたのか、と驚いていると芋蔓式に妹、姪っ子、義弟が登場して最終的には彼の実父との深くて暗くてとんでもない過去まで判明する。
妹の一家が現在暮らす町が今回の舞台なのだが、この町が変わっている。というか知れば知るほど常軌を逸しているので非現実的だと思ったが解説によればこれは実際にアメリカで起きた銃乱射事件の背景が重ねられているのだそうで、つまりこういうコミュニティが存在するということだろう。日本でも田舎に行けば閉鎖的で集団主義的な考え方をする人々というのは決して珍しくないかもしれないが、風土や民族が違うし、この話ではマイナス面ばかりが異様に強調されて描かれていたがそんなに善悪はっきりしているものなのかなあ。だいたい町全体が同じ考え方だというのもなんだか想像しにくいし、まあ権力者がそうなると自動的にその他少数は排除されるということなのか。どのくらいの規模の町なんだろう。
なんにせよビルは妹夫婦にとって悪しき存在、嫌悪の対象で特に義弟とビルは憎み合っているから顔を合わせるたびにすぐにでも殴り合いになりそうな険悪な関係だし(そのへんの理由・分析は小説中に出てくる)、町のひとびとも短気で偉そうでビルに悪意をもって接してくるようなのばっかりだし、みんなひとの話聞かないしフットボールフットボールフットボールばっかり云ってるし(もともとスポーツマンが苦手な上に明らかに意識的に悪者に書いてあるもんでまいった)、なんていうか「理不尽だあ」「みんなクールになろうぜ」と云いたくなる実に不愉快極まりなく精神衛生上良くない話だった。ていうかみんな感情的にすぐエキサイトしすぎ。社会的地位のあるいい年した大人の男ばっかりなのになんでもっとコントロールできないのか怒りを通り越して不思議でしょうがなかった。しかも長いんだ、この話が。
それでも読むのを投げ出させないのはローザンの筆力。次から次へ展開があって変わった人物も出てくるし息抜きも多少あるし何より好奇心が刺激される。サリバン刑事や高校生にしてプロの新聞記者魂をみせるステイシー・フィリップスは魅力的だし、甥っ子は可愛げがあるからやっぱり心配だし、それにシリーズを通しての信頼感と二人への好意があるからね。
この話には23年前にこの町で起きた事件のことも絡んでいることが徐々に明らかになっていくのだけれどおやおやそういえばそういう話をここ3作続けざまに読んでいるなあ。『スリーピング・マーダー』しかり『蛇行する川のほとり』しかり。どれも全然違う味付けだし書かれた時期もばらばらだし読んだわたしだって無作為にたまたま読んだだけなんだけど(本書は待って買ったけど過去が絡んでいるとは読んではじめて知った)。ほんと読書してるとこういう偶然の連鎖ってあるもんだ。岡崎師匠も『古本道場』で似たことをおっしゃっていた。
シリーズの中でもロマンス色が少なくてテーマが重かったので楽しい話とは云いにくいけれど終盤、事件のからくりがわかったときには思わずちょっと興奮してしまった、ああそういうことか――! 全部繋がっているというかある意味伏線だったんだと知るときの霧が晴れる感じはミステリーを読む醍醐味だ。
2003年度MWA最優秀長編賞受賞作。
気になるのは解説の作品リストにこれ以降の原書新作情報がなかったこと。それまで原書では毎年出版されていただけに心配だ。ふたりの関係はまだまだ坂の途中ですぜ!
翻訳ミステリー
|HINOKIasunaro| 20080627
蛇行する川のほとり (中公文庫 お 70-1)
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恩田 陸
中央公論新社
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中央公論新社
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■恩田陸
莓のショートケーキ。
この小説を喩えていうならそんな感じだ。
単にお腹を満たすためだけのエネルギー補給や健康的に栄養を摂取せんがための食事ならば違うものを選べばいい。だがわたしは時々無性に食べたくなるのだ――単価もカロリーも高めで、別に食べなくとも全然困らないむしろダイエット的見地からは我慢した方がベターなその、甘ったるくも美しいふんわりとしたお菓子を。
だからこの小説を読んでリアリティが、必然性が、などとのたまうのは愚の骨頂であるとわかってはいる。いかに甘く、いかに美しく、儚くも輝かしい夢のような世界が構築されているかを堪能し、ゆったりとその空気にひたることこそがこのような小説の愉しみ方なのだから。
恩田陸という作家はいってみれば極上のケーキ職人・パティシエールであり、ジャンルを越えたさまざまな形でわたしを幻想の世界へ連れていってくれるが、この作品は中でも特に甘みを意識してつくられたものだ。一昔前に尾崎翠がいたように、現代には恩田陸がいてくれる。これは、そんな彼女ならではの少女小説(田舎のノスタルジック風)。
純情な高校1年生の主人公、美しくて優秀でみなに憧れられている上級生、中性的でやさしい美少年、刃物のようにとがっている精悍な少年。彼らが、まるで童話に出てくるように美しい川辺の屋敷で夏休みの数日をともに過ごす――完璧だ。そしてその家では昔、未解決の殺人事件があった。
恩田陸はミステリー作家という扱いをされることも多く、この作品もそういう面を兼ねている。バランス面だけでとらえるならばショートケーキの上にのっているほどよい酸味の莓がそれにあたるかと思うのだけれど、それなくしては画竜点睛を欠く――というほどの効果をこの小説においてミステリーが果たしているかどうかは判断が難しいところだ。少女たちの謎めいたささやきなどを裏付ける意味でミステリアスな要素は不可欠だけれども、肝心の事件の中心人物の動機がいささか首をかしげたくなってしまうものだからで、つまりこの小説の疵といえないこともないからだ。
★以下、ネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。
文面どおり読み取るとこの母親はまだ幼い自分の娘をわざわざ人殺しに関わらせる(正確にいうと自殺幇助だけど警察に「殺人」と思わせたいがためのトリックだから)けれどもその必然性がどこにあるのか。何故、単なる自殺あるいは失踪ではいけなかったのか。全然わからない。現に娘はそのことをそれ以来ずっと抱え込んで苦しんで生きてこなければならなかった。それだけの負荷を与える、納得できるような説得力をもった理由がちっとも書かれていないのはひどくないか(母が娘に語った理由など理由になっておらん、自己陶酔の寝言・戯言だ)。あえていうなら「それくらいひどい女・悪女であった」ということだが取ってつけたような説明だしそんな設定でもないしなあ。娘が主人公に嘘を云ったという線でも考えてみたのだが、そうすると自動的に出来事の本質も犯人も変わってきて世にも恐ろしい犯罪小説になるのだがこれはそういう作品ではないし、だいたいにおいてそれまでに書かれてきたある人物のキャラクターからしてその言動はあまりにも逸脱し過ぎている。むちゃくちゃ苦しい。
ということは、ということなんだけど。……うーむ。
装画は酒井駒子。なおこの作品は最初ノベルス3冊に分けて4ヶ月おきに順次出版され、後に単行本1冊にまとめられ、文庫1冊に落ち着いた。


大衆小説
|HINOKIasunaro| 20080625
■長嶋有
「最新作です。出版ほやほやです」
「ようやく長嶋有読むぜキャンペーン既刊本コンプリートしてやれやれと思っていたらまた出た。正直相性どんぴしゃという感じからは程遠いからどうしようか迷ったけど青春小説で文化系部活モノでしかもそれが”図書部”ときたら読まないわけにはいかない」
「帯に”島田雅彦『僕は模造人間』山田詠美『ぼくは勉強ができない』につづく『ぼくは〜』シリーズとも言うべき最新作”とありますね」
「誰が書いたんだこれ」
「あ、いますごい表情しましたね」
「いやいやわたしは何も申しておりませんよ? 版元は……光文社かあ。山田詠美のあれって光文社だっけ?」
「や、新潮でしょう。……今調べたけど島田雅彦のそれも新潮ですね。読んだことないけどレビュー見ただけで面白そうだなあ」
「そりゃふたりともすごい作家だもん。それと並べちゃう?みたいな。最初目にしたときですら”大きく出たなあ”と思ったけどねえ、読後にはもう……」
「ハハハ、でもよく見るとこの二作と並ぶ傑作だとかそういうことは書いていないわけですよ、単にタイトルのはじまり方が同じですよと言ってるだけ」
「だけど”シリーズとも言うべき”って書いてあるよ。”べき”だよ。別に嘘書いてあるわけじゃないけどいい度胸してんじゃん、くらいは」
「そんなに面白くなかったですか」
「面白くなかった」
「下手ではないですよね」
「少なくとも文章はね。いちおう最後までするっと読めたしね。でも面白いかどうかって訊かれたら」
「まあ、共感できるところがほとんどなかったんですよね。みんな絵空事」
「そう、傍観者にしかなれない。主人公自体が懐手しているようなスタンスだし。ってゆうかどうなの、この話に出てくる高校生とリアルで同世代の読者には面白いの?共感を呼ぶのかなあ」
「うーん……なんか内輪受けみたいなネタはいっぱい出てきましたけどそれって今の高校生じゃなくてむしろ著者と同年代にウケそうなネタじゃないのかっていうのはありましたけどね」
「写真週刊誌とか。いまの高校生って読むのかなあ」
「さあ」
「だいたいこれ高校生、しかも主人公3年にしては幼稚じゃない? 中学生の話だと云われたほうがしっくりくる」
「高3にしては受験とかそういう身近な進路に関する悩みがほぼないってのも不自然ですしね。もっと揺れてるはずで、その中に友人関係とか家の問題とか絡まってくるもんだと思うし」
「表紙のイラストの女の子だって中学生にしか見えない」
「表紙は関係ないですよね」
「中表紙の椅子くるくるしてる女の子が可愛い」
「……えっと、装画は衿沢世衣子さん、」
「知ってる?」「知らないですね。イマドキの絵柄って感じです。調べたら面白そうな漫画を描かれてますねー」
「話戻すけどね、この著者って決して下手じゃないんだけどでもなんていうかどれも淡々としているというかタマシイに訴えかけてきたり萌えをもぎとっていったりとゆう、そうゆうなんか、ガツーンとクるものがないんだよなー」
「同世代の男性の方には受けているという意見もありましたが」
「あー『パラレル』の解説?」
「まあ。ゲームやるひととか、男女関係のスタンスとか、そういうのが共感を呼ぶのかなと推測しているんですけど、あの、なんていうか、情けない系っていうか何事に対しても受身というかやる気とか覇気がいまいち欠けてる現代人の葛藤?みたいな」
「無理矢理意義付けしようとしていないか」
「そうともいえます」
「この話の主人公もどうしたいのか方向性が見えない。しかもそのことについて悩んでいない、少なくともそういう描写がほとんどない。見えないもどかしさってのが青春だろー?」
「それはひとそれぞれじゃないですか。私は著者自身が高3のときこういう感じだったのかなとか思いましたけど。志望校私立の夜間とか出てきますし」
「あー。ガツガツしてなかったと?」
「このひとはどうやら”自分”を書いていくタイプの作家みたいですから」
「んーそうかあ。……でもねえ」
「はい」
「でも、だったらなんでこのタイトルなんだよーと言いたくなるっていうか」
「……。作者が自分のキャラをそう思っているんじゃないですか」
「……”キャラ”」
「ガツガツしてないし悩み苦しんでいるわけでもないんだけどでもだからといって落ち着いているわけでもないんです」
「あー」
「内面はぐるぐるしてますよって云いたいんです」
「あー……」
「そんで”そんな俺ってばー”っていう自己愛をそこはかとなく感じる私は意地悪でしょうか」
「うーむ。いや。あながち外れてもいないかもしれな――」
「あー!!」
「――!?」
「わわわ」
「何」
「ここここの本のカバーいま何気なく剥がして表紙見ようとしたんですけど……っ」
「おお。――なんだこれキャラのプロフィール……じゃない、この話が終わった後のそれぞれの人生を紹介してあるんだ」
「そうですよー」
「……」
「……」
「まあ、ちらっと見たかぎりだとやっつけ仕事っつーかどうでもいいな」
「ほんとですね。本編が面白かったわけでもないし」
「うわ言ったっ」
「将来とか書かれても興醒めですよ。本編ですけど、図書部っていう設定はストライクゾーンだっただけにもったいない感が強いです」
「本ネタとかもちょこちょこあって、まったく面白くないわけじゃなかったけどだからどうよ、ってなっちゃうんだよな」
「この作者、オタクなんですよ! で、オタクっていうのは熱心だけどその情熱が他人にはわからないことがわからずに空回りしちゃうことがままあるっていうか」
「語弊が生じるコメントなので断定はどうかと思うがまあニュアンスは汲もう」
「別に読んで不愉快にはなりません。でも後に残らない」
「なんていうか”せっかく高校生を書いたのに”って感じかなあ」
純文学
|HINOKIasunaro| 20080622

■アガサ・クリスティー
初読である。
「えええクリスティー好きとか散々云っておきながらこの超々代表作をいままで未読だっただとう!?」とののしられるかもしれない。
実はわたしは未読のクリスティー代表作がいくつかある。そしてその全てがミス・マープルものである。
そう、わたしはマープルものを中学のときに読んで以来合わない、と思い込んできたのである。「このおばあさんのまだるっこしい説明方法は結論を早く欲しいわたしには向かない」と初対面の印象で極めつけてしまったのである。
かくてポアロもの、トミー&タペンスもの、ノン・シリーズものは二度三度と繰り返し読んだが手付かずの領域はいつまでも残り続けていた。それはそれで気にならなかった。
今回気が向いたのは先般読んだ恩田陸『小説以外』で彼女がこの作品を絶賛していたから。実際に読んでみるとミス・マープルの探偵ぶりは全然まだるっこしさを感じさせず、するすると読めてしまった。あら大丈夫じゃない。
久しぶりに読んだクリスティーの感触をひとことで云うならば”すごく安心”だった。だって女王の、しかも代表作がつまらないわけはないからぜーんぜん心配しなくていいのだ。しかも本格だから様式美なことも約束されている。どっかですごいアクロバットがあるっていう気構えもいらない。必要なのは、英国ならでは、クリスティーならではの描写・会話の妙をゆったりと愉しむ読み手のこころのみだ。
それにしても『アクロイド』を読んだときも思ったことだけれどクリスティーの推理小説というのはある意味すごく公平というか真正直な書き方がなされていて、しかも本格の「良し」とされるルールをきちんと律儀に守ってある。
つまり早い話がミステリーをある程度読んでいる人間には途中で犯人が一目瞭然にみえてしまうことがあるのだ。この作品もそうだった。
だけれども同時にある程度ミステリーを読んできてなおかつ、クリスティーを読みたい、という人間にとってはもはや彼女の魅力はフーダニット(犯人あて)なんぞにとどまるものではないということは百も承知のことである。
そして勿論そんなパターンばかりではなく、最後の最後まで犯人がわからず「えええええっ」と驚かされたこともやはりたくさんある。そうきたか!ってのがいくつもある。むろんその場合もきちんとルールは守られている。
つくづく、凄い作家だ。百年前の小説なのに全然古くならない素晴らしさを実感する。
『スリーピング・マーダー』は文字通り眠れる殺人者のことで、18年前にある田舎の家で殺人事件があったらしいのに何も記録にも噂にも残っていない。つまり当時は殺人があったとみなされず、被害者は駆け落ちで外国にいってしまったと信じられていたのである。
ある偶然からその「事件」について知った娘とその夫は好奇心と正義感から真相を探り出そうと探偵ごっこをはじめるが……。
英国の家具や家の描写なんかが楽しくてうっとり。若い二人とミス・マープルが主軸にいるのでなんだかどこかほんわかした空気があってちょっと和める。
いままで読まず嫌いに近い状態だったけど、認識を改めないといけないなあ。
翻訳ミステリー
|HINOKIasunaro| 20080621
■いとうせいこう
画像は単行本のもの。こないだ文庫オチしたのをこれもちょこちょこと読んできた。
いとうさんというお方は不思議なひとで、バクゼンと「いろんなことをするひと」くらいの認識でいるのだが、本書を読んでそこに「なんやしらんけどむっちゃ顔のひろいひと」という感想も加わった。
浅草に住まうせいこうさんがご自身の知り合いの職人さんを今回は雑誌の取材という立場であらたまって訪れて、いままでのふつうのひとづきあいでは深く訊いていなかったことを根掘り葉掘り教えてもらって「ここにこんなひとがいますよ」っていうのを伝えてくれる、それが本書である。
初対面のルポライターが出向いていってプロの方に話をきいて記事を書くというのはよくある企画だがふだんから知っているひと同士ならではの会話というのがそこここに見られて、すごいなあと思う。ま、ぶっちゃけ逆に悪いことは書けないでしょうけどね。
扇子職人さん。
江戸文字・寄席文字の書家さん。
手ぬぐい屋さん。
効果音の製作者さん。
アクセサリーやフィギュアの原型師さん。
まねき屋の店主さん。
オーダーメイドのスーツを作るテーラーさん。
かりんとう屋さん。
パイプ職人さん。
江戸前の鰻屋さん。
テレビのテクニカル・ディレクター(スイッチャー)さん。
理容師さん。
自分の生活や趣味に近い職もあれば、遠い職もあったがそれぞれ職人気質というか照れ屋さんが多いとのこと、でも相手がいとうさんだから打ち解けて話してくれている感じ。こういうひとって懐に入ってしまえば、っていうのがあるのかもしれない。
原型師さんは本書でとりあげられた職人さんのなかで唯一女性だったので興味深く読んだ。また、効果音の話やスイッチャーの話は普段何気なく目にし耳にしているテレビやラジオについてだったので面白かった。扇子屋さんは江戸っ子らしいというかちゃきちゃきした感じがよく伝わってきたし、手ぬぐいは思わず欲しくなってしまったし、理容師さんには切ってもらいたくなった。まねき屋さんは私もよく店内をぶらぶらしてほっこりさせてもらっている。
江戸文字の縦書きを横書きにする方法などはなるほどというか凄いなあと。
テーラーさんの話の中に「ポアロ」が出てきたのは面白かったな。そういう目で見てるんだー。
手に職があるひとは強い、と言うけどほんとそう、というか格好良い。関西とはまた違う江戸・浅草ならではの空気みたいなのも垣間見えた気がした。
エッセイ・対談・ルポ
|HINOKIasunaro| 20080621
■恩田陸
エッセイを苦手とする恩田陸さんのデビューから14年間の全エッセイが収められたその名も「小説以外」。読みたいと思っていたのが文庫オチしたのですぐに買って、ぱらっと読んでみたらやっぱりご本人が云うだけあって飛びつくような面白さはなかったので以来少しずつ読んだりして先日えいやっとまとめて読んだ。
なんでこのひとのエッセイは小説ほどの興奮をもたらさないんだろうかとここ数日考えていたのだが、まずひとつは真面目すぎるということ。生活や性格がというのもあるけど「エッセイ」というものに対する考え方が型通りすぎるような気がする。うまくいえないけどエッセイだってある意味「創作」の一部だから多少の脚色やちょっとしたフィクションなら盛り込んでもそれで作品として面白ければ良いじゃない?というのがままあると思うんだけど、――つまり漫才でいうところのネタの仕込み、そういう色気がどうもなさそうに思える。
あと、枚数。
苦手だからだと思うんだけど、1つ1つのテーマに関するページ数が短い。これではお話を膨らませる前に締めなくてはならず、遊びが生じ難い。
それに文章を書いてみれば誰でもわかることなんだけど、短い枚数で何か意見を言おうとするとどうしたって紋切り型になるというか、細かいニュアンスの説明などを省いてある程度断定していかなければならず、結果的に説明不足になったりすることがある。自分で書いて強引に結論に持って行き過ぎたな、と思っちゃうというか。
――この言い切りは、この枚数に収めんがためのもので、実際そんな割り切れる問題じゃないんじゃないのかなあ……というのがいくつかあった。
エッセイというよりは、解説を読んでいるという感覚のほうが近いかもしれない。実際、小説の解説として使われたものや、読書冊子の新刊紹介文などもちらほら見受けられたし。
決して下手ではないんだけど、小説家恩田陸のレベルを知っている読者にはものたりない。あ、でもこの作家本人に興味のある方にはいろいろ情報が含まれているから嬉しい一冊だろうとは思う。
エッセイ・対談・ルポ
|HINOKIasunaro| 20080621
■長嶋有
本の帯がお祭り騒ぎしている。思わず買ってしまった。しかも版元がエンターブレイン。ここって須藤真澄の漫画とか出している出版社だけど……小説、しかも純文学も扱うんだ、と思ったら帯裏に異色だと書いてある。
エロマンガ島というのは実在するらしい。ゲームかなんかで出てくるので知っているひとは知っているらしい。長嶋さんて別名でゲームのエッセイとか書いてるし相当なゲーマーみたいだな。
「異色作品集」とあるように本書には5つの話が収められているがちょっと長嶋有のふだん書くのと違う雰囲気がある。なお、巻末に「補遺」があり、著者がそれぞれの作品に短い説明を加えてあるのも珍しい。
「エロマンガ島の三人」
中篇。週刊ファミ通編集長バカタール加藤氏の体験談から着想を得たモデル小説、だけどあくまでこれはフィクションとのこと。主人公とその恋人の空気はいつもの長嶋ワールドなのでそのへんが作られた部分かなと想像する。素朴な島のひとびととの関わりとか描写よりも急遽ピンチヒッターでやってきた日置という男が興味深い。そして同行の久保田という男がほんとにくどいほどウザさを撒き散らすように懇切丁寧に書かれているのはなんでだろうと一瞬考えてしまった。久保田というのはまあいわゆるオタクだと思うんだけど、常にモノを食べたりわあわあ興奮したりしている。しかし主人公はどこかこの久保田のことが好きみたいで、そう、まあ、憎めないキャラではあるんだよね。とりあえずこういうふうに日本からの三人が特徴ありまくりな面子なので島での様子が(こんな島名なのに)むしろ普通の島で拍子抜けとも云える。
「女神の石」
SF。近未来小説かな。たぶん最終戦争のあとの話だと思うんだけど妙な怖さというかロアルド・ダール的な空気があって終わり方にはえっ、と戸惑った。
「アルバトロスの夜」
これもSF。そしてゴルフ小説。ゴルフについてはほぼ知らない私だけどこのお話は好きだった、なんか設定とか雰囲気が良いのだ。つぶれているのかと思うようなさびれたコース。アンドロイドみたいな無口で正確なキャディー、終わったホールのライトは節電のために消されていく(時間は夜。夜にゴルフコースって回れるもんなの?)。「なんだか、通り過ぎた世界がどんどん消えていくみたいだ」。美しい……。
「ケージ、アンプル、箱」
『パラレル』で三人の相手を「パラで走らせている」とのたまった、顔面至上主義男の話。結局男っていうのは感傷的だという話、かなあ。
「青色LED」
「エロマンガ島」の日置の話。まあそうだったんですかあ。まさか長嶋有の小説に殺人が出てくるとは思わなかったなあ。ミステリーだとごくごくありふれすぎているシチュエーションで今更書かれもしないから逆に新鮮だった。
しかしこの帯はこれが受賞作と間違ったのも無理はないと思いません?
隅っこに小さく但し書きがしてあるけど……。
ちなみに当の受賞作の『夕子ちゃんの近道』のほうはごく地味に活字で書かれた帯がしてある。やっぱケンカしたから反動でエンターブレインのほうに……とか憶測しちゃうなあ。



純文学
|HINOKIasunaro| 20080621
■奥田英朗
いまさら。という気がしないでもないけど今頃。
著者第2作にしてベストセラーの出世作を読み損ねたままずるずるきてしまったのでやっぱり読んでおこうと思ったのだけれどそれくらいの動機で読むにはやっぱりこの話は大変だし長かったなあ。奥田英朗なので文章は上手いしするする読めるんだけどなんせタイトルでもわかるように「最悪」な設定の、立場の違う三人のことが順々に書かれていってそれがどういうふうに交差して絡まりあってストーリーとしての頂上を目指すかっていう話なので。
とりあえず半分までは真面目に読んであとはだいたいわかったので流してばーっと読んでみたけど、んでこういう読み方が損なことは百も承知なんだけど、うーん、とりあえず奥田さんなので最終的には救いのある終わり方になっているんで、要は堕ちていった人間が一線を越えたあとのキレてどんぱちもうなるようになれーっ、っていう話を読みたい気分のひとにおすすめ。
なんていうか、外野からみている分には犯罪にまで走るくらいなら腹くくってそこで踏みとどまってればよかったんじゃないとかあるいはそこで止めときゃこんな大事にはならなかったんじゃないとか思えるんだけど実際のそれらのブレーキは外から全体を見ているから云えることであって、実際当事者になってみればそれらの安全弁は本当に些細なことの積み重ねだからちょっとしたことの掛け違いなのだ。だから全然他人事じゃないといえば他人事じゃなくて。そこらへんにいくつも転がっていそうなひとの家庭事情とかそういうのを書くのが巧いのですごくリアル。
最近読んだこのひとのエッセイでこのひとはストーリーとかじゃなくてデティールを書いたり読んだりするのが好きだと書いてあったのでそういう目もあって読んだんだけど、なるほどなあという感じ。ただこのひとの人間観察の細かさとかそのときの視線の向け方は大好きだし愛情があると思うけどほんと、ここまで「最悪」を3パターンも並べて書かれるとやっぱしんどかったっす。でもこんなややこしい設定の話なのにこころのどこかで安心して読めるっていうのは人柄が滲み出ている結果なんだろうな。
もっとこういうのが読みたいっていう気分のときに読めば良かったか。もったいないことしたのかもな。うーん。
大衆小説
|HINOKIasunaro| 20080615
向田邦子のこれははずせません。中学の教科書にこの中の1篇が載っていました。ちょっと昔の、昭和の父と娘の空気。
学生時代に、これはいろんな意味で助けになる本と紹介されて読んだんだか読まなかったんだか。忘れました(おい)。
高校時代〜学生時代くさるほどなんべんも読みました。いまも大好きです。アメリカの、父と少年の蜜月。
その日の本
|HINOKIasunaro| 20080615
■長嶋有
著者と出版社が喧嘩しておたくでは文庫にしないといっているとゆうモンダイの書である。第1回大江健三郎賞受賞作でもある。
どこかで文庫化されるのを待っても良かったがぱらりと見ると面白そうだったので今読みたくなった。
連作短篇集。
タイトルから「夕子ちゃん」は小学生の女の子で、赤いランドセルを背負って田んぼの中や道ならぬ道を「近道」してしまうんだろう、と勝手に想像していたが第一話の話の終わり近くでやっと出てきた夕子ちゃんは定時制に通う高校生だった。おやおやと思ったが塀を乗り越えたりベランダに飛び移ったりする夕子ちゃんはやっぱりイメージどおりの元気で明るいお嬢さんで、ほのぼのとしている。
アンティークショップというよりは古道具屋といいたい感じの「フラココ屋」は駅からだいぶはなれた不便な場所にあってお客さんも買わない常連とかが気軽に入ってくつろげるようなんびりした店構えだ。店長はネットでオークションをはじめたらそちらのほうが忙しくなってしまって、フラココ屋の二階(といってもほぼ倉庫状態)に居候する「僕」はその店番のアルバイトをしている。大家の八木さんは矍鑠とした老人、その孫娘の姉が美大生の朝子さん、妹が夕子ちゃん。
「僕」が何歳かは明記されていないが三十のはじめくらいか。
また「夫以外のひとに恋して出て行った嫁をもつ男」の話かなというのが頭の隅にずっとあったけれどもそういうことを匂わせる具体的な描写はなかったように思う。でもこの「僕」が前はどういう状態で暮らしていたのかというのは徹底的に省かれているのでもしかしたらそうなのかも知れない。とりあえず主人公の具体的な説明を避けたことである種の効果はあったと思う。
瑞枝さんはここを「若くて貧乏なものの止まり木」ともいった。瑞枝さんをふくめた四代目までの住人はそうだったのかもしれない。だが僕は若者というほど若くもないし、実は貧乏でもない。貯金もまだ十分ある。働くのが嫌になってしまっただけだ。働くのだけではない、たとえば広くて暮らしやすい新居を探すことや、部屋を暖めるものを買いにいくことすら。布団に地雷のように埋め込んだアンカに囲まれて、底冷えをやりすごしながら生きている(やり過ごそうとしているのは底冷えだけなのか)。
古道具屋に集まるひとびとの話といえば川上弘美『古道具 中野商店』があるが、『夕子ちゃんの近道』を読んで思ったことは「これがわたしの読みたかった古道具屋さんの話だ」ということだった。川上さんの話になくて長嶋さんの話にあるもの、川上さんの話にあって長嶋さんの話にはないもの。おそらくそれは単純に読み手の趣味の問題である。
純文学
|HINOKIasunaro| 20080614



















