
■夏目漱石
『虞美人草』に続いて再読。んー、これくらいのシンプルな装飾のほうが「漱石」って感じがするなあ。
でも内容が暗すぎる。タイトルからはのほほんとしたイメージなのにねえ。しかもほぼ実話。親戚縁者からお金をたかられ(昔の養父がものすごい負のイメージ)、妻とはギクシャク。鏡子夫人は悪妻で有名だけど、でも漱石もかなり気難しいヒトだったようだから、どうなのかなあ〜。夫人がせっせと看病しても「ありがとう」とも言わず、口に出すのは理屈、理屈、理屈。
作家としてはもう神様、と思っている漱石先生だけど、「夫」とか「父親」としてはどうだったのかなあ。漱石が子どもを書く書き方はすごく好きなんだけど。
まー夫婦の問題なんか、外からどっちかの立場だけに立ってあれこれ言えるもんじゃないわよねえ……?
名作偏愛日記 〔漱石篇〕
|HINOKIasunaro| 20060909

■夏目漱石
久しぶりにアトランダムに再読。これは随筆、それこそ身辺雑記です。漱石の考え方とかが直で伝わってきて興味深い。
雑誌の写真で、笑っている顔はしないと言っていたのに勝手に修正で「笑顔」にされていたエピソードは現代でもそのままありそうだ。
漱石というと「猫」のイメージがあるかもしれないが、犬も飼っていらした。おまけにこのワンちゃんには「ヘクトー」なるトロイの勇将の名前が付けられている。漱石は犬派であった、という人たちがこのへんを論拠にしているのを見かけたことがある。
勝手にモノなど贈りつけてきて引き換えに短冊を強要されて困惑する話や、書いたものをみてくれという女性が訪ねて来たりする話があり、先生も浮世のゴタゴタからなかなか解放させてはもらえなかったようだ。
名作偏愛日記 〔漱石篇〕
|HINOKIasunaro| 20060909

■夏目漱石
ひさーしぶりに再読するが、この話は少なくとも私にとって同じ漱石でも全然違う、小説を越えた作品であることを確認してしまった。読んでいるとストーリーとかじゃなくて、もう、びしびし精神に訴えかけてくるモノがあるとゆーか。別に同体験や似た経験を持つわけじゃないのに、何故だ。あまりに深く傾倒した若い時代の思いがばばーっと蘇るからだろうか。よくわからない。が、つくづく凄い作品だ。
初めて読んだのは小学高学年の時で全然理解できなかったのだが(当たり前)、高校の教科書にその一部が載っていてそれを読んだら震撼となり、急いで文庫を買ってきてアタマから読んだ。ガーン、と衝撃を受けた。普通は第三部の私(先生の若い頃)とKとお嬢さんのエピソードに惹かれるんであろうが、私的には第一部が一番である。先生と、語り手の私とのやりとり、交流のエピソードが好きなのだ。
「お嬢さん」は純粋で何も知らない無垢なひと、と思って読んでいたのだが学生時代に雑談をしているときにゼミの担当教授からそれを壊すような学説がけっこう「アリ」だと聞いてショックを受けた。どこにそんなことが書いてあるか!と思った。
しかし最近は他の漱石作品などで書かれる女性像、漱石夫人の像などを考え合わせると「まったく無垢の妻」を果たして漱石が書くだろうか……という気がしてきた。どうだろう。
まぁいろんな読み方をすればいい。
名作偏愛日記 〔漱石篇〕
|HINOKIasunaro| 20060909

■夏目漱石
どんな話かほぼ忘れていたが、読んでいるうちにだんだん思い出してきた。妻とうまくいかない兄は、妻と弟の中を疑い、その考えに取り付かれてしまう。日頃の言動もあやしくなってくる。神経衰弱みたいになる。
それにしてもこの兄の無限疑惑ループ、どないかならんのか。
妻との仲がしっくりイカナイっていうので自分の性格などを反省する、とかいうのもしたのかもしれないけど、とりあえずそういうのはあんまり書かれていない。
「妻は、弟のことが好きなんじゃないのか?」
と疑り、何を思ったか弟にその潔白を証明しろと迫る。……アホかこいつ……。
しかも弟がまともにとりあわないと「オマエはいい加減だ」「いい加減なオマエの言うことなんか金輪際信じるか!」などとわめきだす。
これ、逆ギレだよなあ?おんなじよーなことぐだぐだぐだぐだ云うし。気分&機嫌によって態度ころころ変わるし。
ほとんど常軌を逸している。
まあ、確かに、読んでいる感じだと兄嫁は弟にある種の好意を抱いているようだ。それは確かなようだ。弟も兄嫁に同情をよせている。でも、既成事実とか一切ないし。っていうか、この夫婦に隙間風が吹きまくっているのは相互の性格が合ってないからなんだし。
妻に愛されたいと願い、つまらない疑惑と自覚しつつもその妄執から逃れられない知識人である兄の苦悩の姿はそれなりに同情をおぼえるし、わからんでもない。憐れだとも思う。
名作偏愛日記 〔漱石篇〕
|HINOKIasunaro| 20060909

■夏目漱石
このあいだからちょこちょこ拾い読みしている乱歩の『幻影城』の中で夏目漱石の『彼岸過迄』には探偵小説風味があるのは有名、みたいなことが書かれていた。この小説、学生の頃に読んだことはあるがウロ覚え。「そうだったっけ?」ということで昨日晩から再読開始、ああ、こういう話だったか……。後半のことがかろうじてぼんやりと印象に残っていたが、前半の乱歩の云う「探偵」部分は全然記憶になかった。漱石の小説に尾行が出てくるとはなあ。当時はそういう視点で読んでいなかったからだろうなあ。
読了。宵子ちゃんが突然死するくだりは我ながらくっきりと覚えていて、『猫』といい、どうも私は漱石の幼な子の描写が相当好きなようである。「ああ、このシーンってこの小説に出てきたんだっけか」と思ったくらい、シーンの方が強烈だったわけだ。ちなみにこの小説をミステリの興味だけで読むとやはり拍子抜けすると思います(^_^;)。「明確な答え」を期待して読んでも同じくです。恋愛が絡んだ青年期の葛藤とかそういうのです。どうにもならんわなあ、こういうのは……。
名作偏愛日記 〔漱石篇〕
|HINOKIasunaro| 20060909

■夏目漱石
く、暗い。
『それから』と同じ人物ではないけれど、「友人の妻を奪って一緒になった」という設定は同じ、夫婦の小説である。
今も昔もある現象だと思うけど、明治時代に生きる彼らはそれによって友・親・親類から見放され、大学は去らざるを得ず、まったく社会的な立場を失ってしまったのだった。今も己の過去を知られることをものすごく恐れて罪悪感を背負って暮らしている。知られたら引越しなければと考えている。夫婦の仲はむつまじいようだが、三度流産・死産した妻は子どもがないことに苦しんでいる。
読んでいると自然に眉間にシワが寄るというか、「好きあって、何もかも棄ててでも、」ということで結婚した夫婦なのに――こんなふうなの?って思わずにはいられないというか。ま、何度も書いてるように明治だからだろうけど。
あと、主人公が非常に淡白な性格なのに驚いた。例えば実の弟が学校に行くお金がなくなって退学の危機に陥って相談にきているのに普段の仕事で疲れているとか何とか言って親身になってやらない。彼らの父親は亡くなっており、叔父も財政的に苦しくなり、弟はいろいろ肩身の狭い思いをしている。それなのに、肝心の兄である主人公は、弟が若いから結論を急ぎすぎているとか考えてひたすらマイペースなのだ。急いだって仕方ないというのもわかるけど、でもそこに兄らしい思いやりが見当たらない。えっ、こんなもんなの?と眉を顰めてしまう。
普通に読んでいると弟がせかせかしててお酒飲んだりしてワガママ、みたいなふうに書いてあるんだけど、冷静に考えたら違うでしょう。そりゃ弟にも我慢が足らない点があるけど、保護者として足らない点があるのは兄でしょう。
なんだかなあ。『それから』も『門』も主人公に賛同できかねるなあ(苦笑)。
名作偏愛日記 〔漱石篇〕
|HINOKIasunaro| 20060909

■夏目漱石
『三四郎』の続編。
食べるために働くことは正しくなくって、本来は働く目的は働くことそのものにあるべきだ、って考え方の主人公。高等遊民とかいうらしい。ま、要は親が資産家で、そのすねかじって生きているヒトなんだけど。
昔(ハタチ前後)読んだときも「なんたる浮世離れした……」と思ったけれど、今読んでもやっぱかなり独特の価値観をもった人間ですねえ。明治では珍しくなかったのかなあ。失業している友人に向かってそんな持論で討論したりするんだから、開いた口がふさがらない。これ、明治時代にはオッケーだったの?
それにしてもあらためて読んで驚いたけど、三十歳なのねえ、この主人公って。もうとうに他人の細君になった女をいまだにぐじぐじと想ったりしている。素直にそれを表すならともかく、まあ、もってまわるわ欺瞞はあたりまえだわ。
冷静に考えるとこれほど鼻持ちなら無い男はそうはいないのでは。でも、漱石への好感と尊敬があるせいか、そういう不快感はわいてこないのです。
三千代が花瓶の水を飲んでしまうシーンはものすごい刺激的だったのでよく覚えていると思っていたが、百合の花の花瓶ではなかったのね。記憶違い。ま、そのシーンに百合の花は出てるんですけど。
はっきり言って昔読んだときはもう少し感動したような気がするのだが、今回は結構不愉快だなあ(笑)とか思って読んだ。主人公にあまりにも感情移入できないんだもの。主人公のぐじゅらぐじゅらの怒涛の思考を除けば、すごい単純なハナシなんだけど、それがどうしてこうなるのかなあ。
ヒトコトで云うと、親友の奥さんと相思相愛になってしまって、結局は友人を失い、妻を得るハナシなんですが、こうまとめて想像される作品の雰囲気と『それから』は全然違うと思います。なぜなら、普通そういうスジのハナシならばこれでもかと書かれるであろう主人公と奥さんの恋愛模様、心理描写などが極端に少ないからであります。
それにしてもかなり劇的なラストなので、「そうだったか!」と驚きました(ほぼ忘れていた(^^;)。続編にあたる『門』を読みたいと思います。
名作偏愛日記 〔漱石篇〕
|HINOKIasunaro| 20060909

■夏目漱石
三四郎はどこか『坊っちゃん』に近い純朴な感じの青年である。あそこまでの無鉄砲さはないが、他の漱石の作品に出てくる主人公達に比べると明るさがある。
九州の高校を卒業していきなり東京の大学生となった主人公、小川三四郎。
出会う友人や女性達は三四郎よりどこか垢抜けていて、都会的に洗練されている感じで、三四郎はマイペースながらも、周囲に感心したり、驚いたりしつつ学生生活を送っていく。
そのひとつひとつが初々しくて、読んでいて微笑ましい。
学生ならではの「青い」文学論だとかそういうのも随所に織り込まれている。
また、里見美禰子なる美人にほぼ一目ぼれしてしまい、彼女とのぎこちないやりとりなども見逃せない重要なストーリー軸となっている。果たして、三四郎の恋の行方は。
美禰子の想いはどこにあるのか?野々宮との関係は?
ちょっと精神的に大人な女性に恋してしまった、純情直情径行な青年のなんともじれったいような片恋小説という読み方もあると思う。
いろんなことに不器用な、でも清々しいあの時代の青年がリアルに描かれていて、時代こそ違えどなんだか共感がもてる名作なのです。
名作偏愛日記 〔漱石篇〕
|HINOKIasunaro| 20060909

■夏目漱石
久しぶりに再読。あー思ったよりも藤尾ってイヤな女だったんだなあ。なんだコイツ( ̄□ ̄;)。しかもこれの母親が腹黒で〜、陰湿で〜。
漱石の書きぶりがまた、こういう「俗気」が許せないんだろうなー、ってくらい容赦ないもんだから。ある意味笑える。
それにしてもこの登場人物の名前の出方がけっこう不親切かなぁ。それまで苗字で書いておいていきなり会話中で下の名前で出したりとかネ。名前を覚えるのが苦手なワタシは思わず登場人物関係表作っちゃっいました。「誰が誰の妹で、誰が誰を好きなんだっけー」みたいなね(^^;。まー、続けて読んでる分にはいいんだけど、これ、新聞連載小説だったわけで、混乱しなかったのかなぁ当時の読者は。
記憶の中では”恋愛絡みの、人間ドラマがものすごくドラマッチックな話”だったんですけど、――んで実際そうなんですけど、それだけじゃなく、「うわー、この小説ってこんなに文章の装飾多かったんだ」と今更ながら思いました。流れるような描写のあまりにも美麗なことに、あらためて感嘆。『草枕』とか『坊っちゃん』とか『こころ』とかよりもこの『虞美人草』のが文章にデコレーションが多いような気が(素人目に、だけど)。
ラストの展開は覚えていたんだけど、その過程で忘れていたところがあって(笑)、結構ハラハラ楽しめました(お得なヤツ……(^^;)。
うーん、でも、小野の気持ちの変化はちょっと理解に苦しむなあ〜。
名作偏愛日記 〔漱石篇〕
|HINOKIasunaro| 20060909

■夏目漱石
超有名な冒頭文から、繰り返し読むほどに味わい深い。
風呂に持ってゆき、ゆっくり浸かりながら非人情の世界にぼんやりと魂をただよわせる。湯気とあわさって、大変によい心地がする。
ストーリーがないのがこの小説の特徴で漱石の意図するところなのだが、たしかに気の向くままに頁を繰って読み始めればこころは既に山奥の幽玄の里へとうつる。まあ一応の話の流れはあるのだがヤマもタニもなく、ただ淡々と画家の思想が語られてゆく、それもかなり排他的というか厭世的というか。仕事で人間関係にうんざりしている者にとって、うなずくところ多し、である。
明治の世も今の世もおせっかいでひとの噂ばかりする馬鹿がいるのはおんなじようである。やってられん。和尚と画家の会話が良い。床屋と画家の漫才のような会話も愉快である。
漱石の言葉遣いが大好きだ。美しいを「美くしい」と書く。うつくしい感じがする。
この話におせっかいなおしゃべりはでてこない。単純な気の良いものか、変わり者のお嬢さんか、ほのぼのした年寄りか、である。現実の田舎はこうはいくまい。あくまで漱石の理想郷だろう。漱石という人は相当この世に愛想が尽きていたように思う。
名作偏愛日記 〔漱石篇〕
|HINOKIasunaro| 20060909











